サグラーシェ

コラム

日本語の使役表現と翻訳

日本語の特許明細書には、翻訳であるか通常の国内出願であるかを問わず、様々な使役表現が用いられています。

例)
あ)犬や猫などのペットに服を着せている飼い主
特開2019-012357

い)犬3に、装着部材としての服30を着させ[る]
特開2009-285344

う)対象者に浴衣を着せ[る]
特開2017-214675

え)母親が乳幼児にバスローブを着させる
特開2008-050723を短く改変

上にあげた文の中には、使役表現の用法に誤りを含むものがあります。
今回は、このような誤りについて考えてみたいと思います。

まず、比較のために、動作主と動作の対象とを同じにして、動詞だけを変えたペアを作ります。

1.飼い主がイヌに服を着せる
2.飼い主がイヌに服を着させる

3.祖母が孫に浴衣を着せる
4.祖母が孫に浴衣を着させる

5.母親が新生児に産着を着せる
6.母親が新生児に産着を着させる

ここでの「着せる」はサ行下一段動詞「着せる」の終止形、「着させる」はカ行上一段動詞「着る」と使役の助動詞「させる」との組み合わせです。
同じ動詞の活用の差ではなく、別の動詞です。

このうち「着せる」とは、衣服などを身にまとわせることを示す語です。
対象はペットでも子どもでも、生後間もない赤ちゃんでも構いません。

某ファストフード店の入口付近に立っている白髪に白ヒゲの人形や、某保険会社のアヒルのぬいぐるみに、店員がサンタクロースの衣装を「着せる」ことも可能ですね。

これに対して、動詞「着る」は、何かを身につける、身にまとうことを意味します。

人形はもとより、ペットや新生児も通常は自分で「服を着る」ことはないと思いますから、2と6の「着させる」は不自然です。正しくは「着せる」でしょう。

一方、4については、孫が自分で服を着ることのできる年齢であれば着なさいと命じて着させる使役で何ら問題ありませんし、もちろん、大人が着せることも可能です。
自分で服を着ることができない場合、2や6と同じ結論に至ります。

すなわち、4は、前後の文脈がなければ語法の適否を判断できません。

ここで注意が必要なのは、動詞「着せる」には、「着させる」と同義の意味もあるという点です。
人それぞれ好みの問題は別にして、国語辞典にも掲載された用法です。

比較を容易にするために、上記1~6に「自分で」を加えてみます。

7.飼い主がイヌに自分で服を着せる
8.飼い主がイヌに自分で服を着させる

9.祖母が孫に自分で浴衣を着せる
10.祖母が孫に自分で浴衣を着させる

11.母親が新生児に自分で産着を着せる
12.母親が新生児に自分で産着を着させる

このうち、7、8、11、12は通常あり得ない事象を示しているのに対し、9と10は「どちらも」文として意味をなしています。
そして「自分で」を加えてあっただけですから、この部分を抜いた

9b.祖母が孫に浴衣を着せる
10b.祖母が孫に浴衣を着させる

は、冒頭の

3.祖母が孫に浴衣を着せる
4.祖母が孫に浴衣を着させる

と同じですね。
3は、動詞を「着せる」の終止形だと解釈するか、「着る+させる」と同義と解釈するかによって、文の意味が変わるということです。

以上から、冒頭の明細書からの引用では、自分で服を着ることのない犬や乳幼児に「着させる」(い)と(え)には、語法の誤りがあるということになります。

ところで。
ためしに、上に示した1~6の文を、機械翻訳にかけてみました。まず、Google翻訳です。

1. The owner dresses the dog
2. The owner dresses the dog

3. Grandmother puts her grandson in a yukata
4. Grandmother puts her grandson in a yukata

5. Mother dresses newborn baby
6. Mother dresses newborn baby

Googleでは、動詞「着る」と「着せる」が区別されずに出力されました。

2と6は語法に誤りがあり、そのままでは意味をなしませんから、Google は、誤りを修正して本来あるべき形で訳したとも言えるだろうと思います。

ところが、上述したように、4は必ずしも誤りとは限りません。祖母が孫に自分で浴衣を着させたかもしれないのです。その場合、Googleの出力は、誤訳になりますね。

同じことを、DeepLでも試してみます。

1. the owner dresses the dog
2. the owner makes the dog wear clothes

3. a grandmother dresses her grandchild in a yukata
4. a grandmother dresses her grandchild in a yukata

5. A mother puts on her newborn baby’s maternity clothes.
6. A mother puts on her newborn’s maternity clothes.

1と2のペアについては、使役表現の有無が英訳文に反映されました。
それ以外では、やはり動詞の違いが無視されています。ただし、意味を考えると、2の訳は奇妙です。

7~12では、どうなるでしょうか。

Google
7. The owner dresses the dog himself
8. The owner dresses the dog himself

9. Her grandmother puts her grandson on her own yukata
10. Her grandmother makes her grandson put on her yukata herself

11. Mother dresses newborn baby by herself
12. Her mother puts her newborn on her own clothes

DeepL
7. The owner dresses the dog by himself.
8. The owner makes the dog dress itself.

9. A grandmother dresses her grandchild in a yukata.
10. A grandmother dresses her grandchild in a yukata.

11. A mother puts on a newborn baby’s maternity clothes by herself.
12. A mother puts on her newborn’s maternity clothes by herself.

Google、DeepL ともに、かつての機械翻訳と比べると格段に性能が良いと評されていますが、やはり日本語の使役表現は難しいようですね。
「ら抜き言葉」「れ足す言葉」と並んで「さ入れ言葉」もよく指摘されていることから、日本語の使役の難しさが伺い知れます。

ここで取り上げたのは単純な例ですが、日本語の母語話者が書いた文や日本人の翻訳者が訳した翻訳文にも、使役の誤りは多く見られます。

文脈に依存しない純粋な語法の誤りは、仮名漢字変換をATOKにするだけで変換時に指摘がなされますし、日本語の校正ツールでも抽出されます。

特に翻訳が介在する明細書では、何語から何語への翻訳であるかを問わず、使役表現の誤りは原文と翻訳文との意味の乖離を生じる一因になります。
くれぐれも、気をつけたいものですね。

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