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コラム

多義語としての「華奢」

言葉は生き物だと言われるように、ある語がもとの意味とは異なる新たな意味を持つようになることがあります。そのような語のひとつであると考えられる「華奢」について、明細書の翻訳との関係を考えてみたいと思います。

まず、『日本国語大辞典』から、「華奢」の意味を引用します。

か‐しゃ[クヮ‥] 【華奢】
はなやかでおごりたかぶっていること。はでに暮らすこと。奢侈(しゃし)。豪華。

きゃ‐しゃ 【花車・花奢・華奢】
(1)物事の状態が上品で優雅なこと。また、そのさま。風流。伊達(だて)。
(2)人の姿や形がほっそりと骨細で上品なさま。繊細で上品に感じられるさま。
(3)物のつくりが細かったりして何となく弱々しいさま。
(4)「きゃしゃごと(花車事)」の略。

漢字の「華」は華やかさや美しさ、「奢」は贅沢やおごりを意味します。
そして「華奢(きゃしゃ)」の語源には、「花奢」「香車」から転じた説と「華奢(くゎしゃ)」から転じたとする説があります。
さらに、「きゃしゃ」が日本の古典文献に見られるのは、(1)と(2)の用法に限られるそうです。

こうした背景に鑑みると、「きゃしゃ」の(3)の意味は、他の意味よりも後から生まれたと考えられます。そして個人的には、新たに生まれた意味は、そうでない意味よりも用法のばらつきが大きいように感じています。

事実、明細書でも、(3)に近い意味は様々に用いられています。

参考までに、「かしゃ」と読む場合の意味は、英語であれば文脈に応じてluxurious、luxuriously furnished、lavish、gaudy、sumptuousなど、「きゃしゃ」の(1)と(2)は、slim and elegant、slender、delicate、daintyなどの語を使って表現できます。

和英辞典でも、おそらく似たような訳語があてられていることが多いだろうと思います。

翻って(3)に近い意味の「華奢」は、明細書では、例えば次のような形で用いられています。
翻訳時に生じ得る問題を具体的に示すために、J-Platpatで「華奢」を全文検索し、約600件の中から技術分野を変えて適当に拾いました。

(ア) 凸部15は直方体状に形成されており、・・・凸部15に華奢な部分が無いため、第2の部材20の樹脂が流れてきた際の凸部15の形状崩れを防ぐことができる。
 再表2017/134791 化粧容器用ワイパー

(イ) パンプスのような華奢で側面の低いタイプの靴に使用する時には、天然コルク材による中間板層4板を靴の中底板に直接的に張り付けて用いることができ、
 特開2017-108906 履物用中敷及び履物用中敷部品

(ウ) コンビニエンスストア等の売り場に設置し、通路には比較的強めの風を送り、野菜や花のような華奢な商品には弱い風を送る、というような使い方も可能である。
 特開2009-189916 塗装ブース構造

(エ) 燃料がガスであることから、都市ガス配管と同等の設備となり、付設工事や材料仕様が簡易で済む。つまり、重油燃料に比べて比重が軽いので、配管やその固定構造物が華奢で済み、配管繋ぎ部が簡易となり、流動温度以上への加温も不要となる。
 特開2008-126829 船舶

(ア)のUSとEPの英文ファミリでは、華奢がfrailすなわち壊れやすい(=easily broken or damaged)意味で訳されています。
ただ、実際には壊れやすいわけではなく、薄かったり(=thin)柔軟だったり(=flexible)して変形しやすい(=easily deformed)だけかもしれません。とはいえ、華奢を「変形しやすい」と訳せば、原文とは意味が変わります。

(イ)は、7cmくらいのピンヒールに細くて弱々しく見えるものがありますが、側面が低いと記載されていることから、「華奢」は踵ではなく靴全体を示すと考えられます。

全文に照らすと、弱々しい感じのする靴や傷みやすい靴である必然性はなく、単に浅い(=shallow)靴であればよい、つまり「華奢」が実質的に何ら意味を持たない可能性もあります。

そうでなければ、(1)の意味に近い上品な靴かもしれません。

例えば、芥川龍之介の『舞踏会』という小説に「彼女の華奢な薔薇色の踊り靴」という表現があり、『Tales Grotesque and Curious』という書籍に収録されたGlenn W. Shawの訳文では「her slender little rose-colored dancing pumps」とされています(p.103)。

『舞踏会』では、踊り靴のくだりの少し前に、美しい令嬢、細い金属の箸、手のひら程の茶碗、米粒などの描写がなされており、slender littleは適訳だろうと感じます。
これに対して(イ)の明細書には『舞踏会』のような示唆はないのですが、語義に近い意味で訳すなら、やはりslenderでしょうか。

(ウ)は、切り花として売られている花卉には茎や葉が「細かったりして何となく弱々しい」ものがあります。これに対して野菜は、いわゆるスプラウトやベビーリーフに弱々しいものがあるとはいえ、「華奢な野菜」とはどのような野菜を想定しているのか、単に傷みやすい(=perishable、bruise easily)だけなのか、不明です。

(イ)や(ウ)のように語の意味を一義に意味を特定できないと、語の持つ情報を翻訳時に再現するのも困難です。単純に言えば「訳すことができない語」ですが、それでも明細書の翻訳が発生すれば、おそらく何らかの形で訳されるでしょう。

一義に理解できる文として訳されれば、その時点で多かれ少なかれ情報は変化しています。
結果として、新規事項の導入とみなされるリスクを抱えることになり得ます。

*  *  *

以上の(ア)~(ウ)は、華奢が上記の(3)に近いであろうマイナスの意味で用いられていると推察されます。これに対して(エ)では、華奢が良い意味で用いられています。

重油燃料用の設備より管の壁厚が薄い(=thin)、構造が単純である(=simple)、製造しやすい(=easy to manufacture)といった様々な利点を一言で表現しようとした可能性が何となく感じられるはするものの、「きゃしゃ」であるか「かしゃ」あるかを問わず、華奢にそのような意味はありません。すなわち、この「華奢」は、明細書の中だけで用いられている用語だといえます。
そして別段の定義もなされていないため、明細書の翻訳が発生すれば、翻訳者の感覚で近いと思われる意味で訳されることになると思います。

「華奢」という語そのものは、特別に難解というわけでもなければ使用頻度が低いわけでもなく、日常生活の中で普通に使われます。
とはいえ、明細書の中だけに限っても、実務者ごとに少しずつ意味が異なるような印象も受けます。

多くの場合、どうしても華奢と表現しなければならない必然性は乏しいでしょうから、一義に解することができる別の語を使うほうが、良いようにも思います。

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