鶴唳=各例?
J-Platpatで明細書の全文に対して「鶴唳」を検索すると、3件ヒットします。「唳」とは、鶴や雁が鳴くこと、鶴や雁の鳴き声で、「鶴唳」は文字どおり鶴の鳴き声です。
再表2007/083785
試験片:鶴唳で作製したフィルムを用いた
試験気体:空気(N2:O2=8:2)
試験温度:30℃
特開2009-242460
[実施例]以下、実施例および比較例を挙げて本発明を更に具体的に説明する.鶴唳における成分配合の部は、全て質量部である。
特開2006-215424
したがって、上述した鶴唳の開口部と同様にラビング方向に沿った帯状の配向ムラが生じることを低減できる。
引用した文では、明らかに意味が合いません。
この鶴唳、「かくれい」という読みと文脈から、おそらく「各例」の誤記だと思われます。
確信はありませんが、ATOKの仮名漢字変換では「かくれい」の変換候補として筆頭が「各例」、以下、「各令」「革令」「閣令」と続くのに対し、Windows 10標準のMicrosoft IMEの仮名漢字変換では「かくれい」に「鶴唳」と「鶴齢」しか登録されていないため、IMEの誤変換が引き起こした誤記ではないかと思います。
この誤記が、外国のパテントファミリで、驚くような意味に変化しました。
1.再表2007/083785(=WO2007/083785)
「鶴唳で作製したフィルム」という記載の直前に、実施例1~4と比較例1~4が示されています。このため、元の意味は「各例(=各実施例+各比較例)で作製したフィルム」だと推察されます。
これに対して英文ファミリでは、「Film prepared by Kuraray」と訳されています。「Kuraray」は「鶴唳」のローマ字表記「Kakurei」に似ていますが、よく見ると樹脂メーカーであるクラレの社名です。
実施例に入る前、発明を実施するための最良の形態に「(エチレン組成比26mol%、クラレ製)、エバールH171B(エチレン組成比38mol%、クラレ製)」という記載があるため、英訳者は読みから「鶴唳」を「クラレ」の誤記と判断したと思われます。
一方、中国語のファミリでは、「鶴唳」がそのまま中国語に置き換えられています。
日本語の「鶴唳」は、四字熟語「風声鶴唳」の形で使うことが多く、中国語にも「风声鹤唳(fēng shēng hè lì)」という同じ言い回しがあります。
手元の辞書によれば、意味も日本語と同じ「些細なことにも怖じ気づくことのたとえ」です。風声鶴唳は中国二十四史の1つである『晋書』謝玄伝の故事から生まれた言葉のようですので、中国語から日本語に入ってきた風声鶴唳の一部が、鶴唳として単独でも使われるようになったと考えられます。
ただし、鶴唳公司の「公司」は会社を意味し、中国語版では、「鶴唳」という社名の企業が製造したフィルムになっています。名詞の解釈が変わった結果、「作製」も「製造」として訳されているためです。
さらに、社名はクラレの誤記と判断されたわけではなく、完全に別会社。クラレが言及されている箇所では片仮名で表記されていることからも、別会社と解されたのは明らかです。
英語も中国語も、翻訳者は社名の誤記と解したようですが、音を頼った日英訳者と漢字を頼った日中訳者とで、「どの会社なのか」という推測の結果が異なったということです。
2.特開2006-215424
原文の「上述した鶴唳の開口部」は、英文ファミリで「the openings of the above-mentioned modifications」と訳されています。実施の形態に続いて変型例1~4が記載され、「鶴唳」の誤記は変型例4にあるため、翻訳者が「各例」と読み替えて、変型例1~3の意味に解して訳したのでしょう。
一方、中国語のファミリでは、「上述的开口部(=上述の開口部)」として、意味不明の「鶴唳」を削除する形で翻訳されています。
明細書を確認すると、変型例より前にも開口部が記載されていますので、中文では「上述」の示す範囲が英文よりも広がったことになります。
さらに、この出願には韓国のファミリもありました。韓国語はあまり読めないため自信がありませんが、「상술한 개구부와 마찬가지로」の「상술한 개구부와」がabove-mentioned openingに対応しているのだと思います。
おそらく、中国語版と同様に意味不明の「鶴唳」を削除する形で訳されています。
3.まとめ
以上のとおり、日本人にとっては容易に誤記だと判断でき、場合によっては修正して訳すことが可能な記載でも、他国では予想外の訳になったり削除されたりしています。こと中国語については、翻訳を中国現地に任せることが多い現状に鑑みても、漢字の誤記には十分な注意が必要かもしれません。